北海道活動の振り返りと反省もこれで最後である。最後は、装備編。
毎日日中はその殆どの時間を列車なりバスなりで移動して夜はビジネスホテルに投宿していたとはいえ、それでも真冬の北海道となるとそれなりの装備が必要である。結論から言えば、前回の経験も活かせて準備不足で不便を感じることもなく、余計な物を持ち過ぎて荷物になることもなく、万全だった。ここでは今回の持ち物の中からそんな真冬の北海道行ならではの、普段の活動では持って行かない物をすべて紹介します。

まずは何といってもこれ。前回、二年前の北海道活動の際、札幌駅で列車を降りるやすぐに駅ビルの中の靴屋で購入した雪靴である。このように靴裏には二種類のゴムが複雑に配されていて、雪道でも殆ど滑ることなくずんずん歩いて行ける(もちろん注意すべき点やコツを踏まえた上で、の話ではあるが)。また防寒の面でも十分な性能があり、足に寒さを感じることは一度もなかった。
この靴を引っ張り出してきて履いたのはまさにその二年前の北海道以来だったが、これを履いていかなかったら話にならなかった。

続いてこちら。右側は耳まで覆える帽子である。北海道の雪は水分の無い粉雪で、この季節にまず雨は降らない。だから普段の活動では期間が一週間ともなれば天気予報を見るまでもなく必ず折り畳み傘を持っていくところ、今回は傘は持たなかった。この帽子は目も粗いのだが、濡れる心配は無いのでこれで十分。それよりも耳や頭の防寒が第一義なのだ。
そして左側は折り畳み式のスリッパである。北海道では一たび列車に乗ると乗車時間が長く、このように雪靴のままでは暑いし蒸れるので連日大活躍であった。薄いので二つに折り畳むとかなり小さくなる上、袋が付いているところが実に有り難い。
特筆すべきはこの二つの品、ともに百円ショップで買ったものである。自分にとってまさしく求めていた理想形のような品が二点合わせて僅か324円で手に入ったのである。渡りに船とはこのことで、百円ショップの凄さを思い知らされたのだった。

最後にこちら。右はバイク用の手袋のうち夏用の方である。バイク用には冬用と夏用を所持しているのだが、冬用は大きく厚いので嵩張るし、屋外に長時間滞在する機会はなかったのでこれで十分だった。とはいっても氷点下の中を歩くのはたとえばホテルから居酒屋までの十数分でも素手では辛く、また道路はどこも凍っているので万一の転倒の際に手を怪我から守るという観点からも手袋は必携であり、この夏用手袋を持つというのがまさに正解だった。
左側の青い物体はヒートテックのシャツである。実は前回の活動の際、冬の北海道ではホテル、飲食店、列車やバスなどでは過剰に暖房が効いていて、このヒートテックのシャツは不要であることを学んだ。だがそれでも今回も持っていくべくして持ち出したのだ。
実際に着たのは一度だけ。稚内はノシャップ岬を訪ねた時だった。この時は北風が吹き付けてそれでも数分といられなかったのが、本当は他にも二度これを着ることを想定していた場面があった。釧路湿原と納沙布岬である。釧路湿原は列車の運休で網走に足止めされた結果行くことが出来なかったが、予定では釧路湿原駅で下車して細岡展望台を訪ねるなどし、一時間半ほどを屋外で過ごすつもりだった。また納沙布岬では快晴の無風という予想外の好天に恵まれ、小一時間屋外にいたのだがこいつを着るまでもなく寒さを感じなかった。
このように出番は無きに等しかったのだが、それは結果に過ぎない。自身の経験からすると人間の体が本格的に冷えてくるのは寒中に20分以上いてからである。20分を超えて屋外にいる機会が無いのなら冬の北海道でも特別な防寒着は必要ないが、そういう場面が想定されるなら必携と言えるだろう。

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毎日日中はその殆どの時間を列車なりバスなりで移動して夜はビジネスホテルに投宿していたとはいえ、それでも真冬の北海道となるとそれなりの装備が必要である。結論から言えば、前回の経験も活かせて準備不足で不便を感じることもなく、余計な物を持ち過ぎて荷物になることもなく、万全だった。ここでは今回の持ち物の中からそんな真冬の北海道行ならではの、普段の活動では持って行かない物をすべて紹介します。

まずは何といってもこれ。前回、二年前の北海道活動の際、札幌駅で列車を降りるやすぐに駅ビルの中の靴屋で購入した雪靴である。このように靴裏には二種類のゴムが複雑に配されていて、雪道でも殆ど滑ることなくずんずん歩いて行ける(もちろん注意すべき点やコツを踏まえた上で、の話ではあるが)。また防寒の面でも十分な性能があり、足に寒さを感じることは一度もなかった。
この靴を引っ張り出してきて履いたのはまさにその二年前の北海道以来だったが、これを履いていかなかったら話にならなかった。

続いてこちら。右側は耳まで覆える帽子である。北海道の雪は水分の無い粉雪で、この季節にまず雨は降らない。だから普段の活動では期間が一週間ともなれば天気予報を見るまでもなく必ず折り畳み傘を持っていくところ、今回は傘は持たなかった。この帽子は目も粗いのだが、濡れる心配は無いのでこれで十分。それよりも耳や頭の防寒が第一義なのだ。
そして左側は折り畳み式のスリッパである。北海道では一たび列車に乗ると乗車時間が長く、このように雪靴のままでは暑いし蒸れるので連日大活躍であった。薄いので二つに折り畳むとかなり小さくなる上、袋が付いているところが実に有り難い。
特筆すべきはこの二つの品、ともに百円ショップで買ったものである。自分にとってまさしく求めていた理想形のような品が二点合わせて僅か324円で手に入ったのである。渡りに船とはこのことで、百円ショップの凄さを思い知らされたのだった。

最後にこちら。右はバイク用の手袋のうち夏用の方である。バイク用には冬用と夏用を所持しているのだが、冬用は大きく厚いので嵩張るし、屋外に長時間滞在する機会はなかったのでこれで十分だった。とはいっても氷点下の中を歩くのはたとえばホテルから居酒屋までの十数分でも素手では辛く、また道路はどこも凍っているので万一の転倒の際に手を怪我から守るという観点からも手袋は必携であり、この夏用手袋を持つというのがまさに正解だった。
左側の青い物体はヒートテックのシャツである。実は前回の活動の際、冬の北海道ではホテル、飲食店、列車やバスなどでは過剰に暖房が効いていて、このヒートテックのシャツは不要であることを学んだ。だがそれでも今回も持っていくべくして持ち出したのだ。
実際に着たのは一度だけ。稚内はノシャップ岬を訪ねた時だった。この時は北風が吹き付けてそれでも数分といられなかったのが、本当は他にも二度これを着ることを想定していた場面があった。釧路湿原と納沙布岬である。釧路湿原は列車の運休で網走に足止めされた結果行くことが出来なかったが、予定では釧路湿原駅で下車して細岡展望台を訪ねるなどし、一時間半ほどを屋外で過ごすつもりだった。また納沙布岬では快晴の無風という予想外の好天に恵まれ、小一時間屋外にいたのだがこいつを着るまでもなく寒さを感じなかった。
このように出番は無きに等しかったのだが、それは結果に過ぎない。自身の経験からすると人間の体が本格的に冷えてくるのは寒中に20分以上いてからである。20分を超えて屋外にいる機会が無いのなら冬の北海道でも特別な防寒着は必要ないが、そういう場面が想定されるなら必携と言えるだろう。

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言うまでもなく昼間の活動と並んで重要なのが夜の居酒屋編だが、今回は上々の結果だったと言えるだろう。手堅い再訪と新規訪問のバランスも良くとれたし、南稚内の「和がや」、北見の「鳥若」、釧路の「たっち」、函館の「可寿栄」と、是非また行きたいと思える良店を自力で四つも見付けることが出来た。これらの店については追って居酒屋探訪の記事で記していきたい。
そんな中で、一つだけ非常に残念な店があった。悪かった店についていちいち一つの記事にする気にもなれないので、それについてここで書いておきたい。教祖のおすすめでもあった北見の「居酒屋倶楽部」である。この店については以前に主人の態度と客層の悪さに辟易したと書いたが、今回はがらがらに空いていたので無作法な連中に不愉快にさせられることはなかった。しかし主人とおぼしき男の態度は相変わらずで、ちらりと目が合っても一言も発しない。私は顧客という立場を振りかざすのが大嫌いで、いくら金を払う側とはいえ一たび暖簾をくぐったなら居酒屋の主に対しては敬意を払わなければならないと思っている。だから店の側の人間に対して慇懃に頭を下げろなどと思わない。だがこの男はそんな事云々以前の問題で、人として挨拶の一つも出来ないのだから呆れるほかない。
だがそれはもういい。主人の存在は自分の中で無いものと捉えて、ひとまずはブラウマイスターの樽生の美味さに水に流すことにした。しかし悲劇はその後に待っていたのだ。最初に出てきた地場産の玉葱とトマトを使ったというサラダの時点でこんなものなのか、とやや不安な気持ちを持っていたのだが、次に出された刺盛りを見た瞬間私は愕然とした。
一目見ただけでそれと分かる酷いネタで、今時チェーンの安居酒屋でもこんなものは出さないというものだった。実際に箸をつけても見た目の通りのもので、はっきり言ってこれを食べ進めるのは苦痛でしかなかった。そして私は食べ物を残すというのが本当に嫌いで許せなくて、人生における悪行だと思っている。だがそれでもこの刺盛りの中のしめ鯖だけはどうしても口に運ぶことが出来なかった。見た目からして味はどう考えても絶望的。それだけでなく、こんなものを食べたら心身ともに病んでしまいそうだった。
せめてもの口直しにと最後に前回食べてこれは非常に美味かった玉葱のステーキを注文した。だがこれもまるで大したことはなく、前回のそれには大きく及ばないものだった。
かつて教祖がこの店を推薦した時は一体どんな様子だったのだろうか。もしそれにふさわしい内容で、推されるべくして推されたのだとしたらその当時に比べて著しく味を落としたと断定できる。二軒目にすぐ隣にある「鳥若」を訪ねたが、そちらは満席に近い盛況だった。それに対してこの店ががらがらに空いていたのも納得である。
居酒屋巡りというのは改めて難しいものだと思わされる出来事だった。
あとは備忘録も兼ねて一応書いておくが、他にこの店は次はないだろうと思ったのは南稚内の「えぞ番屋」、函館の「兆冶」、そして新青森の駅の中にある「魚っ喰いの田」。ここは初めて訪ねた時に、駅の中ということでまったく期待していなかったのに意外にも悪くなかったということで記憶の中で大分美化されていたようだ。

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そんな中で、一つだけ非常に残念な店があった。悪かった店についていちいち一つの記事にする気にもなれないので、それについてここで書いておきたい。教祖のおすすめでもあった北見の「居酒屋倶楽部」である。この店については以前に主人の態度と客層の悪さに辟易したと書いたが、今回はがらがらに空いていたので無作法な連中に不愉快にさせられることはなかった。しかし主人とおぼしき男の態度は相変わらずで、ちらりと目が合っても一言も発しない。私は顧客という立場を振りかざすのが大嫌いで、いくら金を払う側とはいえ一たび暖簾をくぐったなら居酒屋の主に対しては敬意を払わなければならないと思っている。だから店の側の人間に対して慇懃に頭を下げろなどと思わない。だがこの男はそんな事云々以前の問題で、人として挨拶の一つも出来ないのだから呆れるほかない。
だがそれはもういい。主人の存在は自分の中で無いものと捉えて、ひとまずはブラウマイスターの樽生の美味さに水に流すことにした。しかし悲劇はその後に待っていたのだ。最初に出てきた地場産の玉葱とトマトを使ったというサラダの時点でこんなものなのか、とやや不安な気持ちを持っていたのだが、次に出された刺盛りを見た瞬間私は愕然とした。
一目見ただけでそれと分かる酷いネタで、今時チェーンの安居酒屋でもこんなものは出さないというものだった。実際に箸をつけても見た目の通りのもので、はっきり言ってこれを食べ進めるのは苦痛でしかなかった。そして私は食べ物を残すというのが本当に嫌いで許せなくて、人生における悪行だと思っている。だがそれでもこの刺盛りの中のしめ鯖だけはどうしても口に運ぶことが出来なかった。見た目からして味はどう考えても絶望的。それだけでなく、こんなものを食べたら心身ともに病んでしまいそうだった。
せめてもの口直しにと最後に前回食べてこれは非常に美味かった玉葱のステーキを注文した。だがこれもまるで大したことはなく、前回のそれには大きく及ばないものだった。
かつて教祖がこの店を推薦した時は一体どんな様子だったのだろうか。もしそれにふさわしい内容で、推されるべくして推されたのだとしたらその当時に比べて著しく味を落としたと断定できる。二軒目にすぐ隣にある「鳥若」を訪ねたが、そちらは満席に近い盛況だった。それに対してこの店ががらがらに空いていたのも納得である。
居酒屋巡りというのは改めて難しいものだと思わされる出来事だった。
あとは備忘録も兼ねて一応書いておくが、他にこの店は次はないだろうと思ったのは南稚内の「えぞ番屋」、函館の「兆冶」、そして新青森の駅の中にある「魚っ喰いの田」。ここは初めて訪ねた時に、駅の中ということでまったく期待していなかったのに意外にも悪くなかったということで記憶の中で大分美化されていたようだ。

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先の北海道活動を振り返って、第三弾は肝心要の活動編。
全体を見渡して言うなら、二年前の前回に比べれば小粒だったということは否めないだろう。北海道フリーパスを使って毎日列車に乗ってどんどん移動し、七日間をかけて全道を一通り周るという活動の概要は前回と全く同じで、ならば細部で変化をつけようと思ったら初回は超えられないのは必然でもある。
前回は最長距離を走る普通列車である2429Dへの乗車、深名線代行バスへの乗車、真冬の宗谷岬訪問という三つの軸があった。それ故旅程もごくすんなりと決まった。それに対して今回の陸別訪問、納沙布岬訪問はやはり格落ちと言わざるを得ない。結果として根室駅前から納沙布岬へ向かうバスの車窓は絶景で、また快晴にも恵まれて岬でも寒さに震えることもなく最高の条件で景色を楽しむことが出来た。しかし陸別訪問はまるでパッとしなかった。
北見駅前から陸別に向かう路線バスは、真冬にしては上々の4分遅れで陸別の駅前に到着した。北見へ戻る折り返しのバスが出るまでの時間は14分。陸別を訪ねたところで行く所も無ければやる事も何も無い、時間があったところで持て余す、確かにそう思っていたし、それはやはり事実だった。だがそれでも流石に14分間では少な過ぎて慌しかった。駅の内外の写真を一通り撮り、トイレで用を足すと残りはもう数分で、目と鼻の先にあるセイコーマートを訪ねることすらためらわれた。終わってみれば文字通り行って帰って来ただけになってしまったのだ。
これが、駅前に置かれた温度計が氷点下20度を指していたというならまだ一つの形として残ったものだが、その時は1月の平均気温よりも4度以上高い氷点下7度だった。
真冬の北海道自体はこの先何度でも繰り返し訪ねてみたいと思う程に魅力に満ちているが、夏場と違って移動の足が事実上公共交通に限定されるというのが大きな問題だ。雪道に不慣れな人間が、夏と同じ速度ですっ飛ばして行く地元の車に混じってレンタカーで長距離長時間を走行するなどまるで現実的でない。
これがかつてのように全道を網の目のように鉄道が走っていた時代ならまだしも、今や北海道の鉄路は骨組みのように僅かな線区が残るだけになってしまった。この限られた条件の中でいかに変化をつけいかに新しい発見をしていくか。次に真冬の北海道を訪ねる機会がやって来たなら、これが最大の課題と言えるだろう。

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(※写真の添付が七日目の分まで終わりました。改めてご覧下さい)
活動を振り返って今回は天候の話。言うまでもなく活動と天気は切っても切れない関係にあるが、今回に関して言えば五分五分というところだった。
これは当日の天候ではなく何日か前の荒天の影響だったのだが、まず日高本線の運休で出端をくじかれた。当初、上陸の翌日の活動は朝一番の札幌発の特急「スーパー北斗2号」に乗って苫小牧まで行き、そこから日高本線の乗車を楽しんで一日かけて様似までを往復し、最後は苫小牧から「快速エアポート~スーパーカムイ」に乗って旭川まで行くというものだった。
だが結果としてこれは富良野線と留萌本線の乗車に振り替えることが出来、札幌を発つ時刻も最後に旭川に着く時刻もほぼ変わらないという、収まりの良い活動をすることが出来たので大きな不満はない。ただし、留萌本線はよかったのだが富良野線は必ずしも充実したものではなかった。まず意外に思われるかも知れないが、富良野線の車窓は大して面白いものではない。これは二年前の前回にも感じたことなのだが、今回はその事を再確認することとなってしまった。富良野、美瑛界隈といえば多くの人がなだらかに続く丘の景色を思い浮かべるかも知れないが、少なくとも富良野線の車窓からそれらを楽しむことは出来ない。
だが、そんな事よりもうんざりしたのはその車内だ。富良野線の車両が安っぽく軽薄なキハ150だというのがまず残念で、しかも上富良野から先は車内は混雑し、旭川までずっと立ち客が出ていた。これはJR東日本でも同様なのだが、混雑する線区でその乗客の数に見合わない短い両数の列車を走らせ、立ち客が出ていてもそれを平然と運行するなど卑劣で極悪な行いである。
都心のように、10両なり11両なりホームなどの地上設備に対する限界の両数の列車をこれも限界の頻度で走らせて、それでも混雑して座れないというのなら、これは「仕方がないこと」である。だが、長いホームの片隅に1両なり2両の列車が発着し、その車内で立たされる。こんな馬鹿な話があるか。これは鉄道会社が自己の都合を顧客に押し付ける悪行であり、それを平然と押し通す汚い殿様商売である。地元の人達は金を払ってこんなものに乗せられているという認識を持ってはいないのだろうか。
これが東北地区となるともっと酷い。卑劣な殿様商売は同様ながら、さらに運行されるのが張りぼての如き粗悪な701系だからだ。私は9月に盛岡からこの車両の普通列車に乗る羽目になったのだが、十数両は停まれるであろう盛岡駅の長大なホームでぽつんと発車を待っていたのはこの701系の2両編成だった。車内は吊り革を掴めればいい方という混雑ぶりで、さらには空調が全然効いておらず酷い蒸し暑さだった。運賃を払って日々こんなものに乗せられて、よく暴動が起きないものだと感心させられた。東北の人は我慢強いと昔から言われるが、その事に甘え、乗客を端から馬鹿にしているのがよく分かった。
話が大分逸れてしまった。
今回の活動で次いで天候に恵まれなかったのは道北だ。宗谷本線を稚内目指して下っていた四日目、豊富の辺りで予期せぬ晴天となって車窓の遠くに白い利尻富士が見え、心を躍らせたものの、その時限りだった。すぐにまた空は厚い雲に覆われてしまい、以後ノシャップ岬を訪ねても、翌朝の車窓からも、利尻の姿はまったく見ることが出来なかった。
極めつけは大雪で釧網本線の列車が運休となり、網走に五時間近くも足止めされたことだ。本来の予定ではこの日は網走を10時過ぎに出る「快速しれとこ」に乗り継いで釧路湿原駅で一旦下車し、細岡展望台を訪ねて再び釧路湿原駅から二時間後に来る列車に乗って釧路へ、というものだった。結局この日は14時半発の列車は運行され、怪我の功名で夕日に雪原が染まる絶景に出会えたものの、釧網本線の南半分の景色は日が落ちてしまって見ることが出来なかったし、釧路湿原訪問も叶わなかった。
一方で、天気に恵まれた場面も色々とあった。まず函館から道央の間は往路、復路ともに快晴で、特に「スーパー北斗」に乗車して函館へ向かった復路では、噴火湾を挟んだ向こうに真っ白な駒ヶ岳が終始はっきり見えていて、それが徐々に大きくなり眼前に迫ってくるという絶景を楽しめた。事前にきちんと左側の窓側の席を指定しておさえていたこともあり、これを存分に楽しむことが出来た。
そして何といっても良かったのは釧路に連泊して納沙布岬まで行った日だ。根室本線の普通列車に乗り、厚岸の先あたりから天気は快晴になり、車窓の左手には地平線の向こうに雪山が連なり、根室が近付くと知床連山と国後が間近にはっきりと見えた。根室駅前から納沙布岬へ向かうバスの車窓も絶景。岬でも天気は終始快晴で風もなく、寒さを感じることなく碧い海の向こうに浮かぶ雪山の眺めを堪能することが出来た。
その翌日、函館へ向かって大移動する際にも朝から晴天で、広大な十勝平野や狩勝峠の景色を楽しむことが出来、特急「スーパーおおぞら」も終始定時運行だった。この日は札幌の方が大雪だったようで各線でダイヤが大きく乱れていたのだが、南千歳駅に着くまでそんな事になっているとはまるで知らなかった。

このように日高本線と釧網本線に関してはやられたが、その他には大幅に列車が遅れたりすることもなく、目的地に辿り着けないという事は一度もなかった。その日の宿泊など大まかなところでは最後まで旅程通りに進み、厳寒期の北海道を一週間旅してこれなら上々の結果と言っていいのだろう。

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活動を振り返って今回は天候の話。言うまでもなく活動と天気は切っても切れない関係にあるが、今回に関して言えば五分五分というところだった。
これは当日の天候ではなく何日か前の荒天の影響だったのだが、まず日高本線の運休で出端をくじかれた。当初、上陸の翌日の活動は朝一番の札幌発の特急「スーパー北斗2号」に乗って苫小牧まで行き、そこから日高本線の乗車を楽しんで一日かけて様似までを往復し、最後は苫小牧から「快速エアポート~スーパーカムイ」に乗って旭川まで行くというものだった。
だが結果としてこれは富良野線と留萌本線の乗車に振り替えることが出来、札幌を発つ時刻も最後に旭川に着く時刻もほぼ変わらないという、収まりの良い活動をすることが出来たので大きな不満はない。ただし、留萌本線はよかったのだが富良野線は必ずしも充実したものではなかった。まず意外に思われるかも知れないが、富良野線の車窓は大して面白いものではない。これは二年前の前回にも感じたことなのだが、今回はその事を再確認することとなってしまった。富良野、美瑛界隈といえば多くの人がなだらかに続く丘の景色を思い浮かべるかも知れないが、少なくとも富良野線の車窓からそれらを楽しむことは出来ない。
だが、そんな事よりもうんざりしたのはその車内だ。富良野線の車両が安っぽく軽薄なキハ150だというのがまず残念で、しかも上富良野から先は車内は混雑し、旭川までずっと立ち客が出ていた。これはJR東日本でも同様なのだが、混雑する線区でその乗客の数に見合わない短い両数の列車を走らせ、立ち客が出ていてもそれを平然と運行するなど卑劣で極悪な行いである。
都心のように、10両なり11両なりホームなどの地上設備に対する限界の両数の列車をこれも限界の頻度で走らせて、それでも混雑して座れないというのなら、これは「仕方がないこと」である。だが、長いホームの片隅に1両なり2両の列車が発着し、その車内で立たされる。こんな馬鹿な話があるか。これは鉄道会社が自己の都合を顧客に押し付ける悪行であり、それを平然と押し通す汚い殿様商売である。地元の人達は金を払ってこんなものに乗せられているという認識を持ってはいないのだろうか。
これが東北地区となるともっと酷い。卑劣な殿様商売は同様ながら、さらに運行されるのが張りぼての如き粗悪な701系だからだ。私は9月に盛岡からこの車両の普通列車に乗る羽目になったのだが、十数両は停まれるであろう盛岡駅の長大なホームでぽつんと発車を待っていたのはこの701系の2両編成だった。車内は吊り革を掴めればいい方という混雑ぶりで、さらには空調が全然効いておらず酷い蒸し暑さだった。運賃を払って日々こんなものに乗せられて、よく暴動が起きないものだと感心させられた。東北の人は我慢強いと昔から言われるが、その事に甘え、乗客を端から馬鹿にしているのがよく分かった。
話が大分逸れてしまった。
今回の活動で次いで天候に恵まれなかったのは道北だ。宗谷本線を稚内目指して下っていた四日目、豊富の辺りで予期せぬ晴天となって車窓の遠くに白い利尻富士が見え、心を躍らせたものの、その時限りだった。すぐにまた空は厚い雲に覆われてしまい、以後ノシャップ岬を訪ねても、翌朝の車窓からも、利尻の姿はまったく見ることが出来なかった。
極めつけは大雪で釧網本線の列車が運休となり、網走に五時間近くも足止めされたことだ。本来の予定ではこの日は網走を10時過ぎに出る「快速しれとこ」に乗り継いで釧路湿原駅で一旦下車し、細岡展望台を訪ねて再び釧路湿原駅から二時間後に来る列車に乗って釧路へ、というものだった。結局この日は14時半発の列車は運行され、怪我の功名で夕日に雪原が染まる絶景に出会えたものの、釧網本線の南半分の景色は日が落ちてしまって見ることが出来なかったし、釧路湿原訪問も叶わなかった。
一方で、天気に恵まれた場面も色々とあった。まず函館から道央の間は往路、復路ともに快晴で、特に「スーパー北斗」に乗車して函館へ向かった復路では、噴火湾を挟んだ向こうに真っ白な駒ヶ岳が終始はっきり見えていて、それが徐々に大きくなり眼前に迫ってくるという絶景を楽しめた。事前にきちんと左側の窓側の席を指定しておさえていたこともあり、これを存分に楽しむことが出来た。
そして何といっても良かったのは釧路に連泊して納沙布岬まで行った日だ。根室本線の普通列車に乗り、厚岸の先あたりから天気は快晴になり、車窓の左手には地平線の向こうに雪山が連なり、根室が近付くと知床連山と国後が間近にはっきりと見えた。根室駅前から納沙布岬へ向かうバスの車窓も絶景。岬でも天気は終始快晴で風もなく、寒さを感じることなく碧い海の向こうに浮かぶ雪山の眺めを堪能することが出来た。
その翌日、函館へ向かって大移動する際にも朝から晴天で、広大な十勝平野や狩勝峠の景色を楽しむことが出来、特急「スーパーおおぞら」も終始定時運行だった。この日は札幌の方が大雪だったようで各線でダイヤが大きく乱れていたのだが、南千歳駅に着くまでそんな事になっているとはまるで知らなかった。

このように日高本線と釧網本線に関してはやられたが、その他には大幅に列車が遅れたりすることもなく、目的地に辿り着けないという事は一度もなかった。その日の宿泊など大まかなところでは最後まで旅程通りに進み、厳寒期の北海道を一週間旅してこれなら上々の結果と言っていいのだろう。

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久々の大規模活動、そして宿願だった厳冬期の北海道を二年ぶりに再訪したわけだが、一言で言うなら素晴らしかった、またすぐにでも行きたいということに尽きる。どこまで行っても雪と氷に閉ざされた世界はもう美しいの一言で、毎日何時間眺めていても飽きることはなかった。そして今回も真冬の北海道での地元の人々の暮らしぶりについて、新たに発見したり再確認したりした事が幾つもあった。
では活動の様々な場面を具体的に振り返ってみたいが、今日はまず北斗星の話から。
先述のとおり紆余曲折を経て結局乗車することに決めた「北斗星」だが、やはり満席の車内で過ごす時間にもはや夜行列車の風情はなく、廃止祭りの騒ぎの一員でしかいられなかった。これから乗車しようという方はこの点を覚悟すべきだろう。往路こそロビーカーの席を確保して宴会が出来たからいいものの、延々と飲んでいて飲み過ぎてしまった。
一体どこまで、何時まで飲んでいたのか最終的な記憶は無いのだが、仙台を発車するところまでははっきりと覚えているから少なくとも日付が変わるまでは飲んでいたのだろう。それも、上野駅から乗車する前に居酒屋で一通り飲んだ後にさらに日本酒を休むことなく飲み続けていたのだから、二日酔いにならない方がおかしい。
翌朝起きてからが大変だった。まずロビーは常にびっしりの満席。いやそもそも前夜の宴会の時点で、食堂車のパブタイムのために並ぶ人でその一時間近くも前からロビーは埋め尽くされていて、飲んでいて実に落ち着かなかった。そうやって早くから並ばないと席につけないからだ。
朝食も然り。大勢が詰め掛けるから長い時間待たねばならない。名前と人数を告げ、順番になると隣のロビーカーに呼びに来てくれるのだが、そのロビーカーが椅子に座るどころかいる場所すらないのだからどうしようもない。もはや寝台特急の旅の風情など欠片もなく、何処へ行っても何をするにも行列、行列だ。仕方なしに、とにかく食堂車で名前を告げて自分の寝台に戻った。上段なので窓からの景色もなく、横になるしかない。
再び眠って、目覚めると一時間半が経っていた。食堂車の順番を飛ばされてしまっていたらそれはもう仕方がない、諦めるしかない事と再び足を運んで確認すると、次ですからロビーでお待ち下さいとの答え。これはまったくの偶然の幸運だったから私は食事が出来たものの、この食堂車の順番待ちはもはや苦行でしかないとお伝えしたい。
廃止前にもう一度だけ北斗星に乗車したいと思っているが、個室でなければ絶対に乗らない。個室がとれなかったらきっぱりと諦める。そして運よく個室寝台に乗れることになったなら食べ物を買い込んで乗車し、札幌に着くまでトイレや歯磨き以外は一歩も外には出ない。


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では活動の様々な場面を具体的に振り返ってみたいが、今日はまず北斗星の話から。
先述のとおり紆余曲折を経て結局乗車することに決めた「北斗星」だが、やはり満席の車内で過ごす時間にもはや夜行列車の風情はなく、廃止祭りの騒ぎの一員でしかいられなかった。これから乗車しようという方はこの点を覚悟すべきだろう。往路こそロビーカーの席を確保して宴会が出来たからいいものの、延々と飲んでいて飲み過ぎてしまった。
一体どこまで、何時まで飲んでいたのか最終的な記憶は無いのだが、仙台を発車するところまでははっきりと覚えているから少なくとも日付が変わるまでは飲んでいたのだろう。それも、上野駅から乗車する前に居酒屋で一通り飲んだ後にさらに日本酒を休むことなく飲み続けていたのだから、二日酔いにならない方がおかしい。
翌朝起きてからが大変だった。まずロビーは常にびっしりの満席。いやそもそも前夜の宴会の時点で、食堂車のパブタイムのために並ぶ人でその一時間近くも前からロビーは埋め尽くされていて、飲んでいて実に落ち着かなかった。そうやって早くから並ばないと席につけないからだ。
朝食も然り。大勢が詰め掛けるから長い時間待たねばならない。名前と人数を告げ、順番になると隣のロビーカーに呼びに来てくれるのだが、そのロビーカーが椅子に座るどころかいる場所すらないのだからどうしようもない。もはや寝台特急の旅の風情など欠片もなく、何処へ行っても何をするにも行列、行列だ。仕方なしに、とにかく食堂車で名前を告げて自分の寝台に戻った。上段なので窓からの景色もなく、横になるしかない。
再び眠って、目覚めると一時間半が経っていた。食堂車の順番を飛ばされてしまっていたらそれはもう仕方がない、諦めるしかない事と再び足を運んで確認すると、次ですからロビーでお待ち下さいとの答え。これはまったくの偶然の幸運だったから私は食事が出来たものの、この食堂車の順番待ちはもはや苦行でしかないとお伝えしたい。
廃止前にもう一度だけ北斗星に乗車したいと思っているが、個室でなければ絶対に乗らない。個室がとれなかったらきっぱりと諦める。そして運よく個室寝台に乗れることになったなら食べ物を買い込んで乗車し、札幌に着くまでトイレや歯磨き以外は一歩も外には出ない。


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