福岡の町が大きく生まれ変わろうとしています。自身福岡に移り住んでまだ一年半しか経っていませんが、当時は当たり前の景色だった福ビル、天神コア、博多駅前の西銀本店ビルが既に姿を消しました。しかし全体的に見ればまだ始まったばかりで、一昔前に建てられた多くのビルが健在です。旧天神コアの隣りに建つのがイムズです。



建物が八角形をしている上、中心部は全階を貫く巨大な吹き抜けになっています。何とも贅沢な空間の使い方ですが、不景気の現代ではこんな建物はもう生まれないでしょう。何となれば再開発の肝は規制緩和を機により高いビルを次々と建てることなのです。


最下層である地下二階から地下一階を結ぶのは、珍しい曲がるエスカレーターです。全国に三十程しかないらしく、これも姿を消したら二度と出て来ないでしょう。
このイムズも本年度中に営業を終え、建て替えられることが決まっています。好景気の時代に建てられた一昔前の贅沢を味わいたかったら、訪ねるのは今のうちです。

にほんブログ村

にほんブログ村

↑ ↑ ↑
ランキングに参加しています。ぜひ三つのバナーをそれぞれクリックして下さい。よろしくお願いします!



建物が八角形をしている上、中心部は全階を貫く巨大な吹き抜けになっています。何とも贅沢な空間の使い方ですが、不景気の現代ではこんな建物はもう生まれないでしょう。何となれば再開発の肝は規制緩和を機により高いビルを次々と建てることなのです。


最下層である地下二階から地下一階を結ぶのは、珍しい曲がるエスカレーターです。全国に三十程しかないらしく、これも姿を消したら二度と出て来ないでしょう。
このイムズも本年度中に営業を終え、建て替えられることが決まっています。好景気の時代に建てられた一昔前の贅沢を味わいたかったら、訪ねるのは今のうちです。

にほんブログ村

にほんブログ村

↑ ↑ ↑
ランキングに参加しています。ぜひ三つのバナーをそれぞれクリックして下さい。よろしくお願いします!

天神の繁華街から長浜へ向かって北へ伸びるのが、その名も親不孝通りです。このように良くない意味の言葉を通りの名に冠するとは。それも人知れずひっそりとある小径というわけではなく、繁華街の真ん中の賑やかな通りなのだから興味深いです。しかしこの通りにも紆余曲折がありました。
私がここを初めて訪ねたのはもう四半世紀も前でしょうか。その頃は予備校が集まっていて、それがこの名前の由来だと聞きました。しかしその後通りの名が改められ、響きはそのままながら「親富孝通り」になってしまったのです。残念ながら写真には撮っていなかったようで、また記憶も曖昧ですが、実際にそれを見た時余所者ながらに「余計なことを」と思ったものです。
ところがこれが数年前に再び「親不孝通り」に戻されたのです。ここは特に若者が集まるところでもあります。若者の町といえば他に大名がありますが、あちらが流行の先端を自負している節があって上品で洒落ているのに対し、ここ親不孝通り界隈は享楽的で下品です。土曜日、日曜日になると、夜通し飲み遊んでいたと思しき若者が騒ぎながら歩いている光景をいつも見掛けます。予備校の姿がなくなった今も、形を変えてやはり親不孝者で溢れている様が何とも可笑しいです。

若者向けの店が集まっているだけあって、件の半額クーポンの対象店もこの通り沿いに何軒もあります。しかし親不孝なら私自身もかなりのものなので、いい歳をしてこの通りで飲み歩くのは少々気が引けるところでもあります。

にほんブログ村

にほんブログ村

↑ ↑ ↑
ランキングに参加しています。ぜひ三つのバナーをそれぞれクリックして下さい。よろしくお願いします!

全国の城下町の中でも、福岡はその風情がかなり希薄な方でしょう。これは市街の中心部である天神や玄関口たる博多駅から城址が離れているというのも要因かも知れませんが、とにかく福岡の町を訪ねて城下町の風情を感じる人は余りいないのではないでしょうか。よく探せば城下町の名残りは随所にあるのですが、裏を返せばよく探さなければ見付からないということです。その一つが大濠公園です。

均整のとれた楕円形をしていますが、かつて福岡城を築城する際に、博多湾の入江だったこの部分をそのまま外濠にした名残りなのです。しかしそうと聞かされなければ、やはり城址の雰囲気は希薄です。


白鳥型のボートが浮かび、中州には朱塗りの欄干を構える六角堂が建ちます。外周に面して美術館や能楽堂などもあり、絵に描いたような公園の佇まいです。

歩行者と自転車がきちんと分けられた広い外周路が整備されているため、土日には歩いたり走ったりする人がかなり多く見られます。
ここまで書いてきて改めて思ったのは、「福岡は何故城下町の風情が希薄なのか」というのは興味深い題材だということです。もっと掘り下げる必要がありそうです。

にほんブログ村

にほんブログ村

↑ ↑ ↑
ランキングに参加しています。ぜひ三つのバナーをそれぞれクリックして下さい。よろしくお願いします!


福岡とは縁も所縁もない、旅行には興味がない、祭りにも興味がない。そんな人であっても「博多祇園山笠」の名は聞いたことくらいあるでしょう。七百年以上の歴史を持つこの祭りは櫛田神社への奉納行事であり、博多の総鎮守が櫛田神社です。

私にとって櫛田神社は、とにかく場所が良いというのも印象的な要素です。博多駅と天神のちょうど中間辺り、市街の中心部ですが、それでいながら周辺は静かで品が良いのです。その雰囲気をたいへん好んでいることに加え、かつて関東から頻繁に福岡を訪ねていた頃、すぐ近くの宿に泊まったり居酒屋に入ることが多かったのです。ほぼ毎回のように福岡に来た挨拶がてら櫛田神社に足を運んでいました。
先の半年間の福岡住まいの際にも、印象的な風景に出会ったことがあります。櫛田神社から4km程離れた明太子の工場の敷地の中に、飾り山が展示されているのを見掛けました。近付いて見たところ、何か違和感があります。工場の敷地や建物に対して僅かに斜めに立っているのです。山笠の正面は櫛田神社の方角を向いていなければならないというのがその理由でした。信仰の厚さが窺えます。


表参道から境内に至るまでは一切高低差がないのに、裏口は階段の途中に鳥居が立っていて、道との間に数メートルの段差があります。「ブラタモリ」で紹介されて有名になりましたが、かつてここが海際であったことの名残りだそうです。
さて、今年は山笠が中止になってしまいました。福岡に移り住んで最初の夏に山笠がないとは、本当に残念でなりません。しかしあの時点で決定しなければならなかった以上、仕方のないことです。長年山笠に携わってきた人達の無念は、私などのそれとは比べ物にならないでしょう。来年こそは、と願わずにはいられません。

にほんブログ村

にほんブログ村

↑ ↑ ↑
ランキングに参加しています。ぜひ三つのバナーをそれぞれクリックして下さい。よろしくお願いします!


天神のビル群の谷間にひっそり佇んでいます。初めて見た人は、こんな所に神社が、と驚くかも知れません。しかしこここそが天神の地名の由来ともなった由緒正しき社なのです。



菅原道真公が太宰府に左遷された際、その道中で水鏡に映った自身のやつれた姿を見、さらに悲しみを深くした。その道真公を祀ったのが当社であり、天神とは道真公のこと。そして一帯を天神と呼ぶ地名の由来ともなった。
道沿い及び境内の説明書きの内容をかいつまむとこのようになります。これまでもぼんやりと把握はしていたのですが、華やかな福岡の中心部、九州一の繁華街の名が道真公に由来するとは、改めて感慨深いです。
一つ気になる事があります。一枚目と二枚目の写真を見ると分かるかと思うのですが、境内が本殿に向かって真っ直ぐ伸びず、僅かに折れ曲がっているのです。創建当時の場所から一度移転しているそうなのですが、移転の経緯、或いは当時の町割りと何か関係があるのでしょうか。軽く探ってみたのですが、今のところ分かっていません。もう少し勉強が必要なようです。


すぐ脇は小さな店ばかりが並ぶ飲み屋小路です。その名も博多名物うまかもん通り。実に味わいがあり、いずれはここも開拓せねばなりません。

にほんブログ村

にほんブログ村

↑ ↑ ↑
ランキングに参加しています。ぜひ三つのバナーをそれぞれクリックして下さい。よろしくお願いします!