
まさかの二日連続訪問wwwww
まあ滅多に行く機会のない横浜、そして神懸り的に美味い豚が健在とあれば行かない手はなかった。

この日も当然豚Wで、野菜ニンニクカラメ。そして前日との変化をつける意味もあって、後輩に薦められるままにネギのトッピング(100円)を追加してみた。
結論から言うとこのネギトッピングは失敗だった。言うまでもなく大して良くないネギを使っており、それを極細切りにしてあるので苦味がきつく、ごま油をたっぷりかけてあるのもくどい。ネギを載せればさっぱりと食えると思っていたのだが見事に期待を裏切られた。
豚はこの日も神以外のなにものでもなかった。食べている間はただただ幸せ、甘美な時間でしかなかった。
野菜は可もなく不可もなし。前日に茹で立てシャキシャキだったのはやはり単に運が良かったからだった。麺もこの日は前日に比べればやや柔らかめの茹で上がりで、特にどうということのない麺。しかし関内はもともとこんな感じである。
おかしかったのは麺の量だ。前日はあんなにすんなりと食べられたのに、この日は後半はかなりキツかった。明らかにいつもの関内店よりも多く、二郎標準くらい(通常のラーメンの二杯強程度)はあったと思う。それとも錯覚だろうか。やはり前日は久し振りに食べられた感動で箸が進んだ、という事かも知れない。
いずれにせよ、二郎は間違っても二日続けて食べるものじゃないと思った(笑)
そんな中でも二日続けて心底感動させてくれるこの店の豚が凄いというのも事実。
麺 ★★★
スープ ★★★
野菜 ★★★
豚 ★★★★★+★★
麺量 ★★★★

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スマホにヘッドフォンを差して音楽を聴く、または動画やゲームを楽しむ…最近の電車の中ではすっかり馴染みとなった光景だが、私自身はそんな習慣はまったく無い。ところが先日、どうしても見ておかなければならない動画があったので珍しく移動中の電車の中でヘッドフォンを使って再生していた。そこで、今まで気にもしていなかったある事に気付いた。
電車の車内放送が、必要以上にうるさ過ぎるのだ。
「次は○○です。××線と△△線はお乗り換えです」全く同じ事を英語で繰り返す。録音によるやけに無機質な音声で言われるものだから余計に耳障りだ。恐るべきことに主要な駅の場合は放送が終わった後車掌の肉声でまたも同じ事が繰り返される。
これが新幹線のような長距離列車ならこの放送も忘れた頃にやって来るからまだいいものの、これを山手線でやられると堪らない。やっと喋り終わったか、と思った次の瞬間「間もなく○○駅です」とまた始まる。そして再び同じ事を繰り返す。つまり、電車が走っている間の殆どの時間で車内放送が何かしら喋り続けているのだ。
しかも厄介な事に「電車とホームの間が広く離れている場合がございます、十分にお気をつけ下さい」などという言葉がいちいち入るので余計に喋る時間が長くなっている事だ。その結果目的地の駅へ着くまでひたすら車内放送の声を聞かされ続けることになる。
結局見るべき動画の内容は殆ど頭に入らなかった。
こういうのを親切や便利だという捉え方もあるのかも知れないが、それにしても度が過ぎていやしないか。自分で観察して自分で習得して自分で判断して自分で責任を持つ…こういう環境が、そんな当たり前の事が出来ない人間を生んでいくような気がしてならない。
そのうち日本の電車では「次は○○駅です。電車が駅に到着しますと扉が開きます。扉が開きましたらお降りになるお客様は外へ一歩を踏み出し、電車とホームの間に転落されませぬよう十分ご注意の上、踏み出した足をホームに着地して降車して下さい」などという放送を一駅毎にするようになるのではないか。そしてこの放送を怠ると「降り方をちゃんと説明してくれないから乗り過ごした。どうしてくれるんだ」とギャーギャー騒ぐ人が出てくるのだろう。
そう考えるとちょっとゾッとした。この国の幼稚化はどこまで進むのだろうか。

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電車の車内放送が、必要以上にうるさ過ぎるのだ。
「次は○○です。××線と△△線はお乗り換えです」全く同じ事を英語で繰り返す。録音によるやけに無機質な音声で言われるものだから余計に耳障りだ。恐るべきことに主要な駅の場合は放送が終わった後車掌の肉声でまたも同じ事が繰り返される。
これが新幹線のような長距離列車ならこの放送も忘れた頃にやって来るからまだいいものの、これを山手線でやられると堪らない。やっと喋り終わったか、と思った次の瞬間「間もなく○○駅です」とまた始まる。そして再び同じ事を繰り返す。つまり、電車が走っている間の殆どの時間で車内放送が何かしら喋り続けているのだ。
しかも厄介な事に「電車とホームの間が広く離れている場合がございます、十分にお気をつけ下さい」などという言葉がいちいち入るので余計に喋る時間が長くなっている事だ。その結果目的地の駅へ着くまでひたすら車内放送の声を聞かされ続けることになる。
結局見るべき動画の内容は殆ど頭に入らなかった。
こういうのを親切や便利だという捉え方もあるのかも知れないが、それにしても度が過ぎていやしないか。自分で観察して自分で習得して自分で判断して自分で責任を持つ…こういう環境が、そんな当たり前の事が出来ない人間を生んでいくような気がしてならない。
そのうち日本の電車では「次は○○駅です。電車が駅に到着しますと扉が開きます。扉が開きましたらお降りになるお客様は外へ一歩を踏み出し、電車とホームの間に転落されませぬよう十分ご注意の上、踏み出した足をホームに着地して降車して下さい」などという放送を一駅毎にするようになるのではないか。そしてこの放送を怠ると「降り方をちゃんと説明してくれないから乗り過ごした。どうしてくれるんだ」とギャーギャー騒ぐ人が出てくるのだろう。
そう考えるとちょっとゾッとした。この国の幼稚化はどこまで進むのだろうか。

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