日本一周後の福岡での日常、居酒屋探訪記などを綴ります。

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先日の日曜日、久し振りに麻雀を打った。浮きの二着目、痛快な和了りも何度かありなかなかの結果だったが、そんな事よりも何よりも、久々に麻雀が出来たということそれ自体が何よりも嬉しかった。
麻雀こそは複雑にして怪奇、高度にして緻密、それでいて時に血の沸くような興奮を呼び起こす、人類の叡智が生んだ最高の遊戯である。麻雀を覚えてからかれこれ三十年が経つが、その素晴らしさに心を奪われていることは一貫して変わらない。いや、打てば打つ程好きになる。

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そんな麻雀だが唯一にして最大の難点がある。言うまでもなく四人が集まらなければならないことだ。一人でも二人でも大人数でもなく、四人。この事に大いに頭を悩ませてきた同好の士は世にごまんといるだろう。これを解決するものとしてフリー雀荘の存在がある。若い頃はフリー雀荘にも頻繁に通っていたが、今ではすっかりそれをしなくなってしまった。大の人間嫌いの私にとって、見ず知らずの人と顔つき合わせるというのはそれだけで大いに消耗し、疲弊する。麻雀を打つこと以外の部分で負担が大き過ぎるのだ。若い時分はそれでも体力と勢いまかせにそれを承知でフリーで打ったりもしたが、この歳になるともういけない。気の置けない仲間と下らない話をしながら打ってこそ麻雀の楽しさに没入出来るのだ。
その代わり、打つ機会が激減するという大きな代償を払わねばならない。今回も、その前に打ったのは一体いつの事だったか、思い出せないまま卓についた。しかし一つの朗報があった。年明けて正月の3日に打てる可能性が濃厚になったのだ。打つ時は午前10時から始めるのが通例なので、あと25日と13時間である。いまからもうそれが楽しみで楽しみで、指折り数えて待つというのはこういう心境を言うのだろう。そして当日に体調を崩しているわけには絶対にいかないと思うと、今から身が引き締まる思いだ。





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古く、近年開店した店舗群の造りを基準だとするならばそこから大きくはみ出す骨董品の如き店であっても看板だけは緑色のものに架け替える。浅草店などはその好例だが、これはここ一、二年で急速に進められてしまい、赤色の看板はもはや絶滅したかに思えた。ところが奇跡的に赤看板を残す店舗がまだあった。それが若松店だ。
正面入口の上に掛けられているのは新しい緑看板だが、角地に建つが故もう一面に第二の看板があったのが奏功したのだろう。このように副次的な看板が存在する故にそれが旧来の赤のまま残されているのは他に北見店があったが、現在の状況が気になるところだ。

さてこの若松店の魅力は赤看板が現存することだけはない。簡素でありながら角地らしい欠き取りを備えた小柄な二階建ての建物はまさしく古きよき路地裏型の店舗である。そして白眉は雪国の雁木のように商店街の他の店と共有し長く連続した庇だ。

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細長く続いてきた商店街は若戸大橋へ向かって高さを増す高架道路に突き当たるようにしてここで終わる。その末端にこのモスはある。雁木様の庇も角地に建つこの店の正面側に回り込むようにして尽きる。そこに明朝体の文字でモスバーガー若松店と書かれ、さらに市外局番を略した電話番号が並ぶ。これはたまらない。雪国の雁木のようだといったが、その素材は軽快なビニール製で赤く塗られ、降雪が殆ど無い北九州の土地柄が表れているのも好ましい。
かつて持ち帰り専用窓口として機能していたであろう小さな出窓があり、その下にバンズの空箱が積み重ねられている。恐らく看板が架け替えられたこと以外はすべてが開店当初と何も変わらないのだろう。このような店舗が健在なのは偏に地元客に愛され続けているからだ。客層や店内の雰囲気も、きっと巨大商業施設に同居している店舗の騒がしいそれとは一線を画するのだろう。いつまでもこのままで残って欲しいと願わずにはいられない。





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このビールの味わいを一言で言い表すならば、鮮烈で力強いということに尽きる。先味から一切の遠慮なく、苦味を主体とした強い味わいが口の中一杯に広がる。それが最後まで途切れずに続く。だが苦味一辺倒というわけではなく、その苦味が絶妙な加減で酸味や渋味を纏っていて、最後の後味でそれらがふっと少し強く舌の上に残る。力強いだけでなく、若干荒々しい中にも品がある。これは美味いビールだ。
だがかように強い味わいだけに飲むと疲れる。立て続けに何杯も飲みたくなるような性質のビールではない。このあたりはエビスに通ずるものがある。

端正かつ上品な缶のデザインも作り手の自信の表れか。一方でこの珍奇な名前、国産原料だけで作られているのが由来だそうだがいまひとつセンスが感じられない。もう少し何とかならなかったのだろうか(笑)





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酷い虫歯に侵された親不知が崩壊し、三十年振りとなる歯医者に駆け込んだのは二月のことだった。これをいい機会と他の悪い部分も徹底的に治療を進め、結局は半年もの間歯医者に通うことになってしまった。一通りの治療が終わったのが八月のことで、それから四ヶ月が経った。その間悪い変化は一切なかったが、再び歯医者を訪ねた。定期健診と歯の清掃をするためである。日々の歯磨きだけではどうしても歯垢を完全に除去することは無理で、それが歯石となって溜まってゆく。その歯石を定期的に歯医者で除去することが歯を長持ちさせるのに必要だという歯科医のすすめに素直に従ったのだ。
歯石の除去だけでなく、歯垢を染め出す薬品を使ったり懇切丁寧な実演を交えた歯磨きのやり方の確認、指導もしてもらった。前回の通院時から歯磨きに対する意識を改善した結果がよく表れていて、磨き残しが劇的に減少している、歯に何か問題が発生したりそれが進行していることは一切無い、という喜ばしい結果だった。就寝前に歯磨きにかける時間は大幅に長くなった。時に面倒に思うのが正直なところだが、これは続けないと後に確実に後悔するであろうから、辛抱して継続していきたいものだ。





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過去にも何度か同様のことを書いてきたのだが、私は身の周りにごちゃごちゃと物が多いのをとにかく好まなくて、物を買う、物が増える、物があるというのが嫌で仕方ない。これは先の日本一周の旅を機により顕著になったのだが、最近その志向がまた一段と強くなってきた。
先日やや大掛かりな家の中の整理を行ったのだが、まず手をつけたのは書籍。古書の買い取りをしてくれる店に出向き、また捨てて、手元にある本という本を全部処分してしまった。実際のところ読み返す機会などないのだ。それから酒器。酒器を集めるのが好きだったが、実際に日々使っているのは各分野で一種類だけなのだ。だからビール用のジョッキ、焼酎用のコップ、冷酒用の江戸切子、燗酒用の徳利と盃をそれぞれ一つずつ、計四個を残してあとは全部捨ててしまった。その他の酒器類を持ち続けたところで別にそれらが生活空間を圧迫しているわけでも何か不便を生んでいるわけでもなんでもないのだが、それでも絶対に必要とは限らない物が手元にあるのが気持ち悪くすら感じられるようになってきたのだ。
他に挙げていくときりがないのだが、とにかく色々な物をまた捨てて、ただでさえ物が少なかった家の中ががらんとしてきた。これまでは部屋のある特定の場所で声を出すと天井に反響したが、現在は部屋のどこにいても声が反響するようになった。これが心地好くて仕方ない。

この準備段階を経て、今日は大掃除にとりかかった。これ以上何処を探しても掃除出来る箇所はない、というくらいに徹底的にやり込んだが、二時間で終わってしまった。
よく、大掃除はたいへんな仕事、一日では終わらなかった、辛いなどという言葉を聞く。だが実際には掃除が大変なのではなく、掃除するために様々な物を片付けることが大変なのだ。これが負担の九割だと言っていい。想像してみよう。家の中に物が何も無くてがらんどうだったとしたら…雑巾掛けをすればそれで大掃除は終わりなのだ。あとは網戸や換気扇のフィルターを洗うのがせいぜいだろう。
がらんどうと言うと流石に大袈裟だが、しかし今私の家はこれに近付きつつある。ロフトなどは本当に寝具しかないので、寝具一式を一旦下に移し、雑巾掛けをすることで大掃除は完了した。所用時間は二分である。

ごく短時間で家の中がぴかぴかになるこの気持ちよさは同じような「物を持つのがとにかく嫌い」という志向を持った人でなければ分からないだろう。これは快感である。
そして人間というのは面白いもので、家の中に物が少なければ少ない程、その状態が崩れることに嫌悪感を抱くようになる。たとえば帰宅して脱いだ上着をとりあえず無造作に椅子の上に置いたとしよう。ごちゃごちゃと散らかっている部屋ならば気にならないかも知れないが、がらんとした部屋でそれをやるとこの上着が非常に目立ち、だらしなく見える。だからその場でハンガーに掛けて然るべき場所にしまうようになる。持ち物なり買ってきた物なりを「とりあえずどこかに置く」という習慣がなくなり、だらしない行動が減るのだ。それはいつでも身ぎれいに整然と行動する、問題を先送りにしないでその場で対処することにつながり、いつしか物腰や生き方からもだらしなさが消えていくような気がする。素晴らしいことではないか。
人間誰しも裸で何も持たずに生まれてくるのだ。だったらいつ死んでもいいように生きたい、特に日本人ならば。極論になるが、そのためには物品は何でも邪魔者なのだ。流石に人間である以上全裸で何も持たずに生きることは不可能だが、基本的な指向を常にそういうところに持っていたいと思う。





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